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札幌地方裁判所 昭和49年(わ)472号 判決

主文

被告人を禁錮一年八月に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

本件公訴事実中道路交通法違反の点について被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四九年六月二四日午前四時三五分ころ、普通乗用自動車(札五も六五七〇号)を運転し、札幌市白石区南郷通り一〇丁目先の交通整理の行われている交差点を東札幌方面から厚別町方面に向かい時速約六〇キロメートルで進行中、同交差点の信号機が赤色の信号を示していたのを約六八、九メートル手前で認めたのであるが、このような場合自動車運転手としては、同交差点の直前で停止して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があったのに、交通の閑散なのに気を許して左右道路から進行して来る車両はないものと軽信し、停止することを怠り、漫然前記速度で進行した過失により、同交差点の手前約八・三メートルで左方道路から進行して来た黒沢弘志(当二〇年)運転の軽四輪貨物自動車(六札む六一七二)を左斜前方約三四、五メートルに認め、急制動の措置を講じたが及ばず同車右側面に自車前部を衝突させよってその衝撃などにより、同人に脳幹損傷等の傷害を負わせ同日午後九時二〇分ころ札幌市中央区宮の森八二宮の森脳神経外科病院において、同傷害により同人を死亡するに至らしめたほか、同車助手席に同乗していた黒沢房子(当四一年)に頭蓋底骨折等の傷害を負わせ、同日午前六時二〇分ころ同病院において同傷害により同人を死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為は、それぞれ刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、以上は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段一〇条により一罪として重いと認められる黒沢房子に対する業務上過失致死の罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮一年八月に処し同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一二〇日を右の刑に算入することとする(訴訟費用はもっぱら道路交通法違反の点にのみ関係するものであるから、被告人の負担すべき訴訟費用に該当しない)。

(一部無罪の理由)

一、本件公訴事実中道路交通法違反の点は、「被告人は、酒気を帯び血液一ミリリットルにつき一・五ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態で前記日時場所において前同車両を運転した」というのである。

二、よって検討するに、道路交通法六五条一一九条一項七号の二、同法施行令四四条の三により右道路交通法違反として処罰されるのは、身体に血液一ミリリットルにつき〇・五ミリグラム以上のアルコールを保有する者が車両を運転した場合をいうべきところ本件の場合、被告人の犯行当時の身体のアルコール保有濃度に関する証拠としては、証人山平真の当公判廷における供述および同人作成の鑑定書(以下本件鑑定書という)があるが、両証拠の科学的検定の結果に関する部分については、左記の理由により、いずれも証拠能力を認めがたく、その余の全証拠によるも、右事実を認めるに足らないと考える。

三、すなわち、≪証拠省略≫を総合して考察すれば、次の事実が認められる。

1  被告人は判示の日時にその場所において、判示の交通事故を惹起し、その際自分もまた入院加療約一・五ヶ月を要する左肩胛骨々折、右下腿挫創の傷害を負ったため、現場に臨場した札幌東警察署交通課長が、被告人に治療を受けさせるため、同署外勤係高橋、熊谷両警察官に指示して被告人をパトカーにより同市中央区南一〇条西一〇丁目古畑整形外科病院に搬送させた。

2  両警察官が右のとおり被告人を同病院に搬送して到着するや熊谷警察官は、同病院付近に駐車している右パトカー内に待機し、高橋警察官が被告人を同病院診察室に連れて行き、同病院医師古畑均四郎に対し、治療を依頼した。そのころ車内で待機していた熊谷警察官が、判示事故現場に居た前記課長から、無線により血中アルコール濃度測定のため採血をして貰うよう指示を受けたので、急拠同病院内に入り、高橋警察官にその旨を伝えた。高橋警察官は、被告人、同病院看護婦中島久子の面前で古畑医師に対し、「交通係の指示があって血液を取るように言ってきたので採取をお願いします」という趣旨のことを云った。同医師は血液採取を同看護婦に指示した。同看護婦は、被告人を同室内注射台傍らの丸椅子に腰掛けさせ、その右上腕部静脈から血液約八立方センチメートルを注射器により採血し、それをスピッツに移し入れ、診察室を出た待合室のあたりで、同警察官に手渡した。

3  そして右採血ならびに治療の終了した午前七時ごろ右両警察官は、被告人を実況見分に立会わせる目的で再び被告人を前記パトカーに同乗させて事故現場に引返した。高橋警察官は、同現場で前記課長の指示を受け、札幌東署交通係に同午前七時ごろ右血液を届けた。

4  本件鑑定書は、警察技術吏員山平真が、この血液を資料として鑑定した経過および結果を記載した書面である。証人山平真の当公判廷における供述中、被告人の血中アルコール濃度に関する供述部分は、右血液を資料とする鑑定の経過中の体験に基づくものである。

四、ところで、血液の採取は、人の身体を傷つけるほか、健康状態にも悪影響を及ぼすおそれがあるなど、人の身体の自由を著しく侵害するものであるから、これが捜査の目的で行われる場合には、捜査官が鑑定処分許可状を得て、これを医師等の鑑定受託者に行なわせる場合とか、被疑者の真意かつ任意に出でた承諾があるとき、採血者の職業等を含めて考察した医学上承諾された方法で採取量も必要最少限に止めるなど社会的に相当なものである場合にかぎられると解される。検察官の挙示するアメリカ合衆国連邦最高裁判所判例のごとく、酪酊運転の嫌疑で逮捕された被疑者の身体から当該被疑事件の証拠を得る目的で、令状によらず、かつ被疑者が反対の意思を明らかにしているにもかかわらず、血液を採取することが許される稀有の場合も存するやも知れないが検察官挙示の右判例の事案は、被疑者が酩酊運転の嫌疑により逮捕された者であったことに注目せざるを得ないのであり、また、かかる場合にかぎり一定の要件のもとに許容されることがあるやに予想できるであろう。けだし被疑者の逮捕は、相当な嫌疑の存在を要件として認められるが故に、未だ酩酊運転の相当な嫌疑が存しないのに、血液採取をしてみて、はじめて嫌疑の存否を確かめるが如き見込み捜査は、逮捕を前提として採血を許すことにより或る程度抑制されるのであり、これと刑事訴訟法が適法に身体の拘束を受けている被疑者に対しては令状によらない強制処分を認めていること(刑事訴訟法二一八条二項、二二〇条一項)とにかんがみると被疑者が他の証拠によってすでに認められる酩酊運転の嫌疑により逮捕されている場合には、令状を得るいとまがなく、かつ社会的に承認された相当な方法によるなど必要性、相当性の認められる限定的、例外的な場合にかぎって、かかる採血の合法性を肯認しても、捜査の必要性を不当に害することはなく、被疑者としても、これを甘受すべきものとしても止むを得ないのではないかと解されるからである。

そこで、本件についてみるに、前掲各証拠によれば、本件血液採取はもっぱら捜査の目的で行なわれたものであって、鑑定処分許可状に基づくものでもなく、被告人は、採血当時、未だ適法に身体の拘束を受けていたものでもなかった(昭和四九年八月八日逮捕)ことが認められるから、被告人の承諾があったか否かが、その適法性を決するものといわなければならない。しかるところ本件採血については、被告人の書面による承諾はもちろんのこと、口頭による承諾もなかったことは明らかであるから結局、本件においては、黙示の承諾があったか否かが採血の適法性を左右するものである。前認定の事実によれば、高橋警察官は、被告人の面前で、すでに被告人の治療を始めていた古畑医師に対し、「交通係の指示があって血液をとるように云ってきましたので、採取を御願いします」と語ったこと、また、古畑医師の指示を受けた中島看護婦が採血するにあたっては、被告人においてなんらの異議を述べなかったことが認められるとはいうものの、当時、被告人は、前認定の骨折等の受傷による苦痛のため一種の虚脱状態にあって、右会話を聞いていたかどうか疑わしいし、聞いていたとしても両名間の会話内容を会得しうるような状態には無かったことが前掲証拠によって認められるし、被告人を右病院に搬送した目的が、被告人に治療を受けさせるにあったことは明らかであって、この故に同行の両警察官らもまた交通課長の命を体して、その意向のもとに行動したことが明らかであるから、同人らの挙動自体には、採血を示唆するものがなかったと解されること、また現に治療を受けている被告人が、治療の途中で、何人からも目的を告げられることなく採血された経緯に照らせば、被告人が本件採血を治療行為の一環と誤信したと解されること(古畑証人は、被告人にとっては、採血の目的は、わからなかったであろう旨供述している)とを合せ考えると、被告人が、本件採血について異議を述べなかったからといって、このことから直ちに黙示の承諾があったものと認めることはできない(なお、高橋証人は、被告人の治療前に、待合室で、被告人に対し、「一応先生に手当をしてもらうけれども、血液もとって貰うからといったところ、被告人は黙ってうなずいた」旨供述しているけれども、この点は、同証人の証言経過に照らしてもた易く措信できないばかりでなく、前認定のとおり同警察官が採血について指示を受けたのは、被告人の治療が開始された後のことであったことよりみれば、外勤係である同警察官が採血について指示を受けることもなかった段階でかかる示唆に及んだとは考えられないことからしても措信しがたい)。結局本件採血は、承諾を得べきにかかわらず、これを得ないでした違法な証拠収集というべきである。

五、そこで、かように違法な手続で収集された血液を資料とする鑑定書および右鑑定経過中の体験に基づく証人山平真の供述中、被告人の酒気帯び運転の罪証にあたる部分の証拠能力について検討する。

血液の採取は、人の身体の自由に対する重大な侵犯であるから、違法な採血の瑕疵は形式的な手続の瑕疵と比較してまことに程度の高いものであり、しかも、本件においては、アルコール検知管による呼気検査や尿の採取によるアルコール保有濃度の測定など、他に容易にとりうる穏便かつ相当な方法が存したにもかかわらず、かかる方法を試みることなく、卒然、採血という人身の侵犯の程度の強い方法に訴えたことは、相当性・必要性の限度を逸脱したものというべく、しかも、被告人をして治療行為と誤信せしめるが如き客観的状況のもとでなされた公正を欠く捜査であるが故に違法の程度が、高い。かかる違法な収集手続によって得られた血液を資料として作成された鑑定書および右鑑定経過中の体験に基づく証人山平真の供述中、アルコール血中濃度に関する部分は、右違法な採血にあたって、すでに予期された採血と一連をなす証拠であるから、採血の違法を帯有するものであって、かかる証拠を被告人の罪証に供することは、弁護人においてその証拠能力を争っている以上、憲法三一条に定める法定手続の保障ならびに刑事訴訟法一条、三一七条に照らして許されないものというべきである。

そこで、右証拠は、本件公訴事実の認定には供しないこととする。

六、本件公訴事実中の道路交通法違反のうち、被告人のアルコールの身体保有量に関し、その余の証拠により検討すると、被告人の当公判廷における供述および検察官、司法警察員、司法巡査に対する供述によれば、被告人は、本件事故前の昭和四九年六月二三日午後一一時ごろ、飲食店において友人とともにビールを飲んだ後、友人と別れ、翌二四日午前二時ごろから酔いをさますため本件自動車内で約二時間仮睡したうえ、本件自動車の運転を開始し、まもなく本件公訴事実記載の場所に至ったというのでありビールの量については、一本であったとする供述と二本であったとする供述があってあいまいであり、他にこれを確定すべき証拠はない。被告人の右供述に本件全証拠を合せて考察するも、被告人が、血液一ミリリットルにつき〇・五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態にあったことはいまだもってこれを認めるに足りない。

結局、本件公訴事実中、道路交通法違反の点については犯罪の証明がないから刑事訴訟法三三六条に則り、被告人に対し、無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 田口祐三)

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